向社会行動を支える心と社会の相互構築
日本学術振興会科学研究費助成事業
研究の成果
概要
本研究は、社会科学をめぐり現在世界各地で急速に進行しつつある、科学的な人間像を基盤とした、神経科学や生物化学と対話可能なかたちでの社会科学の確立をめざす潮流の一端を形成するものである。現時点で得られた、こうした観点から最も重要な成果は、2種類の非協力者に関する発見と、罰行動が一方では公平性・利他性とつながりつつ、もう一方では攻撃性とつながることを示す、行動実験(2者罰行動は他ゲームでの公平性・利他性と結びついている)と脳構造分析の結果である。
1 )前者の知見は、具体的には、様々な経済ゲームで一貫して自己利益のみを追求する参加者に、2種類の質的に大きく異なった人たちがいることを示すものである。その第1は、いわゆる“経済人(ホモエコノミカス)”であり、IQ、主観的地位、人生満足度、自尊心が高く、合理的に自己利益を追求する “エリート”像に合致している。これに対して第2のグループの参加者は信頼と共感性が低く、鬱傾向と神経質的傾向が高い、社会的に疎外されている参加者たちである。この発見は、各種経済ゲームを同一参加者にくり返し実施すると同時に主要な個人特性を測定するという本研究特有の方法が生み出した世界初の発見であり、経済ゲームにおける利他・協力行動に対する“1次元的な社会的選好を用いた説明の限界と問題点を明確に示すことで、既存のアプローチを越えた新たな理論展開を導くことになると考えられる。
2 )後者の分析結果では、これまでの研究では同じ不公平回避の動機によると想定されてきた、不公平な行動をとった相手に対する罰の行使(2者罰)と独裁者ゲームにおける不公平な提案の拒否(不公平拒否)とが、別の種類のゲームでの行動との間に全く異なる相関パターンを持つことが明らかにされている。更に、実験参加者の脳構造を分析することにより、感情的反応をコントロールする脳部分の皮質の厚さが薄い参加者に罰行動が強く見られるだけではなく、そうした参加者の間でだけ攻撃性と罰傾向との間に正の相関が見られることが明らかにされた。これらの知見は、不公正な行動に対して生じる怒りの感情に基づく攻撃的衝動が適切にコントロールされない場合にのみ罰行動としてあらわれることを示唆しており、規範逸脱者に対する罰を公平性をめざす向社会的選好のあらわれとして理解する既存の理論モデルに変更を迫り、代替モデルを提供するものである。同時に、これまで否定的に捉えられてきた攻撃性などの特性が、社会秩序形成で果たす役割の重要性を示している。
3 )経済ゲームで支払われる金額の大きさは、囚人のジレンマゲームでは大きな効果を持つが、独裁者ゲームでは効果がない。この結果は、経済ゲームの種類によって感情的意思決定と選好に応じた計算による意思決定との比重が変化することを示す世界初の知見である。
4 )個人の利他傾向を統制した場合には、これまで広く見られてきた一般的信頼と信頼性行動との相関が消え、信頼行動との相関のみが残ることを明らかにした。また、一般的信頼が社会的適応につながるのは、自己の内面を積極的にまわりに発信しようとする傾向の強い人たちの間のみであり、まわりの人たちに受け入れられるよう自己の内面を発信する傾向の少ない人たちの間では、一般的信頼は社会的適応と関連していないことも明らかにされた。
5 )男性ホルモンであるテストステロンは、これまでの研究では利他行動や協力行動を低下させるとされてきたが、利他行動や協力行動そのものではなく、その基盤にある他者への信頼性を低めることを明らかにした。
6 )囚人のジレンマにおける意思決定中の参加者の脳活動を分析することにより、直観的意思決定と計算による意思決定の差が、最近のRandらによるNature論文で示されている協力行動と非協力行動の間にではなく、むしろ協力傾向の強い人たちと弱い人たちの間にあることを明らかにした。この結果は、利他・協力行動を社会的選好と自己利益との間の効用比較から説明する経済学的アプローチへの代替説明を、Randらの研究を補完する形で示すものであり、今後の世界的な研究の展開にとって重要な意味を持つことになると考えられる。